「2016年02月29日」 のアーカイブ

2016.02.29(月)
カテゴリー:バス釣り

林圭一氏のご冥福をお祈りします。

林圭一氏が死去されました。

ケイテックの林さんです。

日本のバスフィッシング界のレジェンドです。

偉大な先輩。

満56歳。若すぎます。

心よりご冥福をお祈りします。

 

そして、本当にありがとうございました。

 

僕も林さんより少し世代は後ですが、

日本のバスフィッシングの歴史を少なからず知るものなので、

林さんとの思い出などを、皆に知ってもらいたく思います。

 

今朝、ジェネレーションギャップで知らない社員たちにも話しました。

特に若い方には今日の日本のバスフィッシングがあるのは

古くからの偉大な先人がいたからということと、

それを伝えていくのは僕たちに出来ることだと切に思うからです。

若い方、特に若いプロアングラーには読んでもらいたいです。

僭越ながら歴史の語り部として、

林圭一氏との数々の思い出を。追悼の意を込めて。

 

林さんは、古くはB.A.S.S of JAPANで、

そしてJBTA(現JBTA)創設時から活躍され

日本のバスフィッシングに多大な影響を与えました。

最初は本でしか見たことのない存在でした。

でも、情報が今のようになかった時代。

一言一句を食い入るようにむさぼり読みました。

 

フリッピングの釣り、ラバージグの釣り、

ライトリグなどBasser誌を通じて、憧れ、想像し、実践して来ました。

僕がまだ素人同然のただのバス釣り兄ちゃんだった頃、

行きつけの店ホットスポットに、

当時ティムコさんの営業だった林さんが来られることを知り、

わざわざ会いに行きました。

林さんは初対面の僕にも優しく丁寧に対応して下さい、

「君も次の琵琶湖のJBTAのトーナメント出るの?頑張りなよ。」と

気さくに話してくれました。

高揚しました。

その試合は、琵琶湖初のJBTAのプロ大会だったのです。

 

結果は、なんと初出場の僕が当時のレコードで優勝。

林さんは納得出来る成績ではなかったように記憶しています。

驚いたのは、試合後、

林さんが「君、お店で会ったよね。

良かったら今から同船してディープクランキングを、琵琶湖の釣りを見せて。」

と言われたことです。

雑誌でしか見たことがない方のあくなき探究心に驚かされました。

「この人、凄いなー。」と感じました。

 

その大会後の冬、毎週のように通った琵琶湖で

僕が初めて釣ったラバージグは、

スタンレーのフリッピングジグでした。

言うまでもなく林さんの影響です。

「ジグンピッグ」という言葉の響きに痺れました。

 

そして、なまじ優勝したばかりに、

バスプロとは名ばかりのアルバイターになった僕を

林さんは、当時勤務されていたティムコさんに誘って下さりました。

自宅にも泊めていただきました。

しかし、縁はなく違う道を進むことに。

面接の時点で完全アウトでした。

言いたいことを言ってしまいました。

今思えば、服装もろくなもんじゃなかったです。

紹介してくれた林さんの顔をつぶしてしまいました。

当時、バストーナメントだけがやりたい

世間知らずの釣りだけしか出来ない子供でした。

今、改めて思えば僕が当時もう少しちゃんとしておれば、

ティムコさんにお世話になったいたかもしれません。

 

僕は、その後に会社設立することになった違う道、

エバーグリーンに進むことになりました。

でも、それで良かったと心から思っています。

多分、そうなっていました。そうなることに決まっていたように感じます。

 

運命論みたいですが、

僕は進むべき道がエバーグリーンに決まってと思っています。

でも、違う道ならコンバットスティックどころか、

エバーグリーンさえなかったかも知れませんね。

運命の分かれ道でした。

 

林さん、その節は本当にすいませんでした。

一宿一飯の恩義は今でも忘れていません。

今でもありがたく思っています。

 

それから数年後、琵琶湖で勝った林さん。

マッドペッパーマグナムという名作ディープクランクを生み出していました。

当時、競技者としてライバルだった今江や僕にもサポートしていただきましたね。

懐の広さを感じました。

 

昔の僕のおかっぱりビデオで河口湖で共演していただきました。

その時は「今はこれが一番釣れるんだ!だからやるだけ。」と言って

ノーシンカーの4インチグラブを延々とカウントダウンして、

超スローにズル引きする徹底した姿に感動さえ覚えました。

美しい。本当に美しい釣りのフォームでした。

僕がおかっぱりから、ラバージグをホンガリングして釣るのを見て、

「ヘー。ジグっておかっぱりからでも釣れるんだ。」と言われた時には

ズッコケそうになりました。

だって元々、ジグを知ったのは貴方の影響なんだから。

林さんは思い込みも強い方でした。

 

数年後、Basserの林さんの記事でホンガリングについて、

「コピーしようとしてもどうしても出来ない。」との記述があり、

本当に真っ正直な方だなと感じました。

同時に僕のことを「日本を代表するジグフィッシャーマン」

と表現して下さり、嬉しく誇らしく思いました。

でも、僕のジグの心の師匠は林圭一さん、貴方です。

 

また、ティムコを離れられてからは、

フェンウィック一筋だった林さんが

「違うロッドを試したいんだ。」というオファーで

インスパイアをサポートさせていただいたこともあります。

インスパイアでBasserオールスタークラッシック優勝してくれて、

充分に恩返ししていただいたのも良い思い出です。

嬉しかったです。

そんな時代もありました。

 

生真面目な林さん、仕事に厳しい林さん。

その妥協を許さないきっちりした性格は

ケイテックの製品に現れています。

昔の製品ですが、カスタムトレーラーお世話になりました。

 

今では、林さんが生み出した子供たち(製品)は世界中で活躍していますよ。

若すぎる死は無念でしょうが、

世界中で貴方の子供たちが喜びをもたらし続けるのです。

 

林圭一さん。貴方の優しさ、厳しさ、

バスフィッシングに対する情熱、モノ作りに対する情熱。

バス釣りの技術、楽しさを伝えて行く姿勢。

その魂は僕たち後輩が受け継いで行きます。

若い世代に伝えて行きます。

そのことが、せめてもの供養であり、また使命と思っています。

 

林さん、今まで本当にありがとうございました。

 

長文、最後まで読んでいただいた皆さんもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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